源頼朝が伊豆で挙兵する
源頼朝が伊豆で平氏打倒の兵を挙げました。敗北を経験しながら東国武士をまとめ、鎌倉を拠点とする政権形成を進めます。
小学6年生・中学生 社会|日本史
鎌倉時代は、源頼朝が東国の武士をまとめて武家政権を形づくり、北条氏の執権政治、元寇などを経て、1333年の鎌倉幕府滅亡へと続く時代です。このページでは、歴史博士に登録されている実際の年表データを読みながら、重要な出来事のつながりを学びます。
STEP 1|まず全体像
平安時代の終わりには武士の力が強まり、源頼朝は1180年に伊豆で挙兵しました。その後、東国を中心に支配の仕組みを整え、武士による政治が広がっていきます。頼朝の死後は北条氏が執権として政治の実権を握り、幕府を支えました。
STEP 2|重要年表
歴史博士には鎌倉時代の公開年表データが199件あります。このページでは、その中から学校での学習につながりやすい出来事を選んで表示しています。年号だけでなく、「その出来事が次に何を変えたのか」を読んでみましょう。
源頼朝が伊豆で平氏打倒の兵を挙げました。敗北を経験しながら東国武士をまとめ、鎌倉を拠点とする政権形成を進めます。
朝廷は頼朝に守護・地頭を置く権限を認めました。鎌倉幕府が全国へ支配を広げる制度的な基盤となります。
源頼朝が征夷大将軍に任じられました。頼朝の武家政権を象徴する出来事ですが、鎌倉幕府の成立過程は1180年代から段階的に進んだと考えられています。
後鳥羽上皇が幕府打倒を目指して兵を挙げましたが、幕府軍が勝利しました。承久の乱後、朝廷に対する鎌倉幕府の優位が決定的になります。
北条泰時が御成敗式目を制定しました。武士社会の慣習や道理をもとに裁判基準を示した、鎌倉幕府の基本法です。
北条時宗が執権となりました。その治世には元から国書が届き、二度の蒙古襲来への対応が最大の政治課題となります。
元・高麗軍が九州北部へ攻め寄せ、文永の役が起こりました。鎌倉幕府にとって初めての大規模な対外戦争となります。
元は東路軍と江南軍の大軍を送り、弘安の役が起こりました。幕府軍の抵抗と暴風などにより元軍は大きな損害を受け撤退します。
新田義貞らが鎌倉を攻め、北条氏の鎌倉幕府が滅亡しました。約150年続いた武家政権が終わり、後醍醐天皇の建武の新政が始まります。
STEP 3|政治のしくみ
源頼朝の時代に始まった武家政権では、将軍に仕える武士を御家人といいました。将軍が領地の支配を認めたり新しい土地を与えたりする御恩に対し、御家人は戦いや警備などの奉公を行います。
頼朝の死後、政治の中心はしだいに北条氏へ移ります。北条氏は執権として将軍を補佐しながら実権を握りました。1221年の承久の乱で幕府が朝廷側に勝利すると、幕府の力はさらに全国へ広がります。1232年には北条泰時が御成敗式目を制定し、武士社会の裁判や政治の基準を整えました。
平氏打倒の兵を挙げ、東国武士を組織して鎌倉を本拠とした。壇ノ浦で平氏が滅んだ後、守護・地頭の設置を認めさせ、1192年に征夷大将軍となった。御家人との主従関係を基礎に鎌倉幕府を開き、武家政権の基本形を築いた。
承久の乱で幕府軍を率いて上洛し、のち第3代執権となった。評定衆を設置し、1232年に御成敗式目を制定して執権政治を整備した。御成敗式目は泰時単独執筆ではなく、評定衆の合意を経て制定された。
第8代執権として元からの国書に対応し、文永・弘安の役で防衛を指揮した。禅に帰依し、無学祖元を招いて円覚寺を建立した。
STEP 4|元寇
13世紀、モンゴル帝国を背景とする元は日本にも服属を求めました。鎌倉幕府がこれに応じなかったため、1274年に文永の役、1281年に弘安の役が起こります。幕府は九州北部の防衛を強化して戦いました。
元軍を退けても、新しく獲得した土地を御家人への恩賞として十分に与えることはできませんでした。御家人の生活が苦しくなり、幕府への不満が強まっていくことが、鎌倉幕府の力が弱まる背景の一つになります。
STEP 5|TEXtTEXt
ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている小学6年生・社会の問題です。「武士の登場」「武士の政治の発展」から、鎌倉時代に直接関係する問題を表示しています。
源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで分かることはどれですか。
鎌倉を政治の中心とした結果として適切なものはどれですか。
鎌倉幕府の成立で変わったことはどれですか。
STEP 6|幕府の終わり
元寇後、御家人の困窮や幕府政治への不満が強まっていきます。幕府では北条氏の中でも得宗家に権力が集中しました。その後、後醍醐天皇が幕府を倒そうとする動きが起こり、1333年、新田義貞らの攻撃によって鎌倉幕府は滅亡します。
ここで歴史が終わるわけではありません。幕府滅亡後は建武の新政、足利尊氏の動き、南北朝の争いへと続き、次の武家政権へつながっていきます。
源頼朝を中心に、東国武士を基盤とする政治の仕組みが段階的に整えられました。
頼朝の死後、北条氏が執権として政治の実権を握り、承久の乱や御成敗式目を経て支配を固めました。
二度の元寇を退けた一方、御家人への十分な恩賞が難しくなり、幕府と御家人の関係が揺らいでいきます。
鎌倉時代は「頼朝が幕府を開いた」で終わりません。執権政治、承久の乱、御成敗式目、元寇、幕府の滅亡までをつなげると、武士の政治がどのように広がり、変化したのかが見えてきます。