小学6年生・中学生 社会|日本史

古墳時代とは?
巨大な古墳から、ヤマト政権の広がりを学ぼう。

3世紀後半ごろから、日本列島では有力者の大きな墓である古墳が各地につくられるようになりました。古墳の形や広がり、出土品を手がかりに、ヤマト政権が勢力を広げ、大王を中心とする政治のしくみが形づくられていく流れを学びます。

STEP 1|まず全体像

古墳時代は、各地の有力者が結びつき、大きな政治勢力が成長した時代

弥生時代には各地に「くに」が生まれました。その後、有力者たちは大きな墓である古墳を築くようになります。特に大和地方を中心とする有力な豪族たちのまとまりは、しだいに各地へ勢力を広げていきました。これをヤマト政権と呼び、その中心となる人物は大王と呼ばれました。

古墳有力者の墓。規模や副葬品、分布から、当時の権力や地域どうしのつながりを考えられます。
ヤマト政権大和地方を中心に有力豪族が結びつき、各地へ勢力を広げていった政治勢力です。
東アジアとの交流朝鮮半島などとの交流が進み、渡来人によってさまざまな技術や文化が伝えられました。
古墳時代を考えるポイント
古墳の名前や形を覚えるだけでなく、なぜ各地に似た古墳が広がったのかを考えることが大切です。古墳の分布は、ヤマト政権と各地の有力者との結びつきを考える重要な手がかりになります。

STEP 2|重要年表

古墳の出現から、ヤマト政権の勢力拡大へ

古墳時代は、文字による国内の記録だけでなく、古墳や副葬品などの考古資料、さらに中国の歴史書なども手がかりにして考えます。出来事を一つずつ暗記するのではなく、ヤマト政権が各地との結びつきを強めていく流れとして見てみましょう。

266

倭人が西晋に使いを送り、朝貢する

倭人が西晋へ使者を送り朝貢したことが中国の史書に記されています。この後、中国史書では倭に関する記録がしばらく少なくなります。

512

百済に「任那四県」を割譲したと『日本書紀』に記される

『日本書紀』には、百済へ任那四県を与えたとする記事があります。6世紀初めのヤマト王権と朝鮮半島諸国との複雑な関係を示す記録です。

527

筑紫国造磐井がヤマト王権に対して反乱を起こす(磐井の乱)

筑紫国造磐井がヤマト王権と対立し、大規模な戦いとなりました。九州の有力豪族とヤマト王権との関係を考える重要な事件です。

528

磐井の乱が鎮圧される

ヤマト王権は磐井の乱を鎮圧しました。これにより九州北部への王権の影響力が強まり、地方支配を進める契機となりました。

538

百済から仏教が伝えられたとする有力な説の年

百済から仏教が公式に伝えられた年には複数の説があり、538年はその有力説です。仏教はその後、日本の政治や文化に大きな影響を与えます。

552

『日本書紀』が仏教公伝の年として記す

『日本書紀』では552年に百済から仏教が伝えられたと記されています。538年説と並ぶ仏教公伝の代表的な年代です。

587

蘇我馬子らが物部守屋を滅ぼす(丁未の乱)

蘇我馬子らは仏教受容をめぐって対立した物部守屋を滅ぼしました。蘇我氏の勢力が強まり、仏教を取り入れた政治と文化が進む契機となります。

STEP 3|古墳から分かること

巨大な墓は、有力者の力を示している

古墳は、王や豪族など有力者のためにつくられた大きな墓です。円墳、方墳などさまざまな形があり、なかでも円形と方形を組み合わせた前方後円墳は古墳時代を代表する形として知られています。

大規模な古墳を築くには、多くの人々を動かし、長い時間をかけて工事を進める力が必要です。そのため、古墳の大きさや分布を調べることは、当時の有力者の力や政治的なつながりを考えることにつながります。

STEP 4|埴輪と副葬品

古墳に残されたものから、当時の社会を読む

埴輪

古墳の周囲などには、円筒形のものや、人・家・動物などをかたどった埴輪が並べられました。当時の服装や暮らしを考える資料にもなります。

武器・武具

鉄剣やよろいなどの出土品は、有力者が持っていた軍事的な力や、鉄を利用する技術を知る手がかりになります。

鏡や装身具

鏡や玉、金属製の装身具などから、権力を示す品々や、大陸・朝鮮半島との交流を考えることができます。

STEP 5|ヤマト政権

大王と豪族が政治を進める

大和地方を中心とする有力な豪族たちは政治的なまとまりをつくり、その中心に立つ人物は大王と呼ばれました。大王を中心とするヤマト政権は、各地の豪族との関係を築きながら勢力を広げていきます。

古墳が大和地方だけでなく各地に広がっていることは、各地域の有力者が互いに孤立していたのではなく、広い政治的なつながりをもっていたことを考える手がかりになります。古墳時代は、日本列島で国家の形がしだいに整っていく重要な段階です。

STEP 6|渡来人と東アジア

大陸・朝鮮半島との交流が、技術や文化をもたらす

古墳時代には、朝鮮半島など東アジアとの交流が活発に行われました。大陸や朝鮮半島から日本列島へ移り住んだ人々を渡来人と呼びます。

渡来人は、鉄を加工する技術、土木や建築、機織り、須恵器など、さまざまな技術や文化を伝えました。ヤマト政権の成長を、日本列島の中だけで考えるのではなく、東アジアとの交流と結びつけて考えることが重要です。

STEP 7|TEXtTEXt

文章を読んで、古墳時代を確かめよう

ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。古墳、ヤマト政権、大王、豪族、渡来人など、古墳時代の重要事項を文章から読み取って確かめます。

TEXtTEXt|国家の形成

古墳こふんが伝つたえる力ちから

古墳こふんは有力者ゆうりょくしゃのために作つくられた大おおきな墓はかです。大勢おおぜいの人ひとが協力きょうりょくしなければ完成かんせいできませんでした。古墳こふんは当時とうじの社会しゃかいに力ちからをもつ人ひとがいたことを示しめしています。

古墳こふんから分わかることとして最もっとも適てきしているものはどれですか。

TEXtTEXt|国家の形成

大和政権やまとせいけんがまとまりを広ひろげる

大和政権やまとせいけんは、各地かくちの有力者ゆうりょくしゃと関係かんけいを結むすびながら勢力せいりょくを広ひろげました。すべての地域ちいきがすぐに1つになったわけではありません。少すこしずつまとまりが進すすんでいきました。

大和政権やまとせいけんが勢力せいりょくを広ひろげた様子ようすとして正ただしいものはどれですか。

TEXtTEXt|日本列島における国家形成

大おおきな墓はかと有力者ゆうりょくしゃ

古墳時代こふんじだいには、土つちを高たかく盛もった大おおきな墓はかである古墳こふんが各地かくちにつくられました。大規模だいきぼな古墳こふんをつくるには、多おおくの人ひとや物資ぶっしを集あつめ、長ながい期間きかんにわたって作業さぎょうを進すすめる必要ひつようがありました。そのため、大おおきな古墳こふんは、多おおくの人々ひとびとを動うごかせる力ちからをもった有力者ゆうりょくしゃの墓はかであったと考かんがえられています。

大規模だいきぼな古墳こふんから、そこに葬ほうむられた人物じんぶつについてどのようなことが考かんがえられますか。

古墳時代で押さえたいポイント

1

古墳の広がり

古墳の規模や形、出土品、分布は、当時の有力者の力や地域どうしのつながりを知る資料です。

2

ヤマト政権

大和地方を中心に有力豪族がまとまり、大王を中心として各地へ勢力を広げていきました。

3

東アジアとの交流

渡来人がさまざまな技術や文化を伝え、ヤマト政権や日本列島の社会に大きな影響を与えました。

もっと詳しく調べる・問題を解く

古墳から、国家が形づくられていく流れを読み取ろう

弥生時代に各地に生まれた「くに」は、古墳時代になるとさらに大きな政治的なまとまりへと変化していきます。古墳、ヤマト政権、大王と豪族、そして東アジアとの交流をつなげると、次の飛鳥時代へ続く日本の国家形成の流れが見えてきます。