小学6年生・中学生 社会|日本史

奈良時代とは?
平城京から、律令国家と天平文化を学ぼう。

710年に都が平城京へ移されると、律令にもとづいて全国を治める国家のしくみが本格的に動き始めました。聖武天皇と大仏、遣唐使や鑑真、そして天平文化まで、奈良時代の政治・社会・文化を一つの流れで学びます。

STEP 1|まず全体像

奈良時代は、律令にもとづく国づくりが進んだ時代

飛鳥時代に整えられてきた法律と政治制度は、奈良時代になると平城京を中心に運用されました。朝廷は戸籍をつくり、人々に土地を分け、税や労役を課すなど、全国を統一したしくみで治めようとしました。

平城京と律令国家710年に平城京へ都が移り、中央から全国を治める政治のしくみが整えられました。
仏教による国づくり社会不安が続くなか、聖武天皇は国分寺・国分尼寺を建て、東大寺の大仏造立を進めました。
天平文化遣唐使などを通じて大陸の文化が伝わり、仏教を中心とした国際色豊かな文化が栄えました。
奈良時代を考えるポイント
「律令による政治」「仏教による国の安定」「大陸との交流」の3本をつなげると、政治と文化を別々に暗記せず理解できます。

STEP 2|重要年表

平城京から平安京へ、奈良時代の流れをつかもう

歴史博士の奈良時代の公開年表から、基礎・発展レベルの出来事を表示しています。出来事が政治・仏教・文化のどの流れにつながるのかを考えながら見ていきましょう。

710

藤原京から平城京へ遷都する

都が藤原京から平城京へ移され、奈良時代が始まります。平城京は律令国家の政治・文化の中心として発展しました。

712

太安万侶が『古事記』を完成させ、元明天皇に献上する

『古事記』は神話から歴代天皇の系譜や物語をまとめた歴史書です。天皇を中心とする国家の由来を示す重要な古代史料となりました。

713

諸国に『風土記』の編纂が命じられる

朝廷は各国に地名の由来や産物、伝承などを記録するよう命じました。これらの記録は『風土記』として地域の歴史や文化を伝えています。

717

阿倍仲麻呂・吉備真備・玄昉らが遣唐使とともに唐へ渡る

阿倍仲麻呂・吉備真備・玄昉らが遣唐使とともに唐へ渡りました。彼らが学んだ知識や文化は帰国後の政治・学問・仏教に影響します。

718

養老律令が編纂される

養老律令は大宝律令を修正して編纂された法体系です。757年に施行され、その後の律令制度の基本となりました。

720

『日本書紀』が完成する

『日本書紀』は神代から持統天皇までを漢文で記した国家的な歴史書です。『古事記』とともに古代日本を知る基本史料です。

723

三世一身法が出される

三世一身法は新たに開墾した土地の私有を一定期間認めました。班田収授制を維持しながら耕地を増やそうとした政策です。

728

金鐘山房が造られ、のちの東大寺につながる

金鐘山房は聖武天皇の皇太子供養に関わる施設として造られ、のちの東大寺へ発展しました。国家的な仏教政策の拠点となっていきます。

729

長屋王の変が起こる

長屋王が謀反の疑いをかけられ、自害しました。その後、藤原氏の政治的影響力が強まる契機となった事件です。

733

『出雲国風土記』が完成する

『出雲国風土記』は現在まで比較的まとまった形で残る風土記です。古代出雲の地名・産物・神話や地域社会を知る貴重な史料です。

734

畿内を中心に大地震が発生する

奈良時代に畿内を中心とする大きな地震が記録されています。古代社会も自然災害の影響を受けていたことを示す重要な記録です。

735

天然痘の大流行が始まる

天然痘が日本各地で大流行し、多くの人々が死亡しました。人口や農業、政治にも大きな影響を与えた奈良時代の深刻な疫病です。

740

藤原広嗣の乱が起こる

藤原広嗣が九州で兵を挙げましたが、朝廷軍に鎮圧されました。疫病後の政治的不安が続く聖武天皇期を象徴する事件の一つです。

741

国分寺・国分尼寺建立の詔が出される

聖武天皇は全国に国分寺・国分尼寺を建てるよう命じました。仏教の力で国家の安定を願う鎮護国家の考えにもとづく政策です。

743

墾田永年私財法が出される

墾田永年私財法は新しく開墾した土地の永久私有を認めました。開墾を促進する一方、後の荘園発達につながる要因にもなります。

743

東大寺盧舎那仏造立の詔が出される

聖武天皇は東大寺に大仏を造るよう命じました。疫病や社会不安の中、仏教の力によって国家を安定させようとした大事業です。

745

都が平城京へ戻る

聖武天皇は都を再び平城京へ戻しました。その後、東大寺大仏の造立など国家的な仏教事業が本格化します。

745

東大寺で大仏造立が本格化する

平城京へ戻った後、東大寺で大仏造立が本格的に進められました。全国から人や物資を集める大規模な国家事業となりました。

752

東大寺大仏の開眼供養が行われる

東大寺の大仏が完成し、盛大な開眼供養が行われました。国内外の人々が参加し、奈良時代の国家仏教と国際文化を象徴する行事となりました。

754

鑑真が日本へ来る

唐の僧鑑真は度重なる渡航失敗を乗り越えて日本へ到着しました。正式な戒律を伝え、日本の仏教制度の整備に大きく貢献します。

754

鑑真が東大寺で授戒を行う

鑑真は東大寺で僧侶に正式な戒律を授けました。僧尼の資格を制度的に整えるうえで重要な役割を果たしました。

756

聖武天皇の遺品などが東大寺正倉院に納められる

聖武天皇の遺品などが正倉院に納められました。シルクロードを通じた国際交流を示す品々も含まれ、天平文化を伝える貴重な資料です。

757

養老律令が施行される

編纂から約40年を経て養老律令が施行されました。以後、律令国家の基本法として長く用いられました。

757

橘奈良麻呂の変が起こる

橘奈良麻呂らが藤原仲麻呂を倒そうとした計画が発覚し、多くの関係者が処罰されました。奈良時代後半の激しい政争を示します。

759

鑑真が現在の唐招提寺の地に戒律を学ぶための修行道場を開く

鑑真は現在の唐招提寺の地に戒律を学ぶ道場を開きました。唐招提寺は鑑真の活動と日本の戒律仏教を伝える重要な寺院です。

759ごろ

『万葉集』に収められた歌のうち最も新しい年代の歌が詠まれる

『万葉集』には7世紀後半から8世紀の幅広い身分の人々の歌が収められています。759年ごろの歌が収録作品の最も新しい年代とされます。

763

大衍暦の採用が決定される

唐で作られた大衍暦を日本でも採用することが決まりました。暦は政治や農業、儀礼を支える重要な国家制度でした。

764

藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱が起こる

藤原仲麻呂が孝謙上皇側と対立して兵を挙げましたが、敗れて殺害されました。奈良時代後半の政権争いを代表する事件です。

769

宇佐八幡神託事件が起こる

道鏡を天皇にすることの可否をめぐり、宇佐八幡宮の神託が問題となりました。和気清麻呂がこれを否定する神託を持ち帰ったとされています。

784

長岡京へ遷都する

桓武天皇は平城京から長岡京へ都を移しました。奈良の寺院勢力から距離を置き、政治を立て直す意図があったと考えられています。

788

最澄が比叡山に一乗止観院を開く

最澄は比叡山に一乗止観院を開き、後の延暦寺の基礎を築きました。比叡山は日本天台宗の中心として多くの僧を育てます。

792

軍団制が一部地域を除いて廃止され、健児制が採用される

朝廷は一部を除いて地方の軍団制を廃止し、健児を軍事力として用いました。律令制にもとづく軍事制度が変化していく例です。

STEP 3|平城京と律令国家

都を中心に、全国を同じ制度で治める

710年、都は平城京に移されました。都は唐の都にならった計画的な都市としてつくられ、政治の中心には朝廷の役所が置かれました。

律令国家では、戸籍などをもとに人々を把握し、土地を分けて税を負担させました。租・庸・調や兵役など、人々にはさまざまな負担がありました。奈良時代の政治を学ぶときは、都の華やかさだけでなく、国家を支えた人々の生活にも注目することが大切です。

STEP 4|聖武天皇と大仏

仏教の力で国を安定させようとする

奈良時代には疫病や飢饉などが起こり、社会が不安定になりました。聖武天皇は仏教の力によって国を守り、人々の不安をしずめようと考え、各地に国分寺・国分尼寺を建てるよう命じました。

さらに奈良の東大寺に大仏を造立しました。大仏づくりには多くの人々や物資が必要で、僧の行基も協力しました。大仏は奈良時代の仏教政策を象徴する存在です。

STEP 5|重要な人物

奈良時代を動かした人物を、歴史博士から確認しよう

政治、仏教、大陸との交流という視点から重要人物を見ていきます。人物解説には歴史博士で使われている人物データをそのまま利用しています。

元明天皇

飛鳥末から奈良初期の第43代天皇で、710年に藤原京から平城京へ遷都した。712年には太安万侶が編纂した『古事記』が献上され、713年には諸国に風土記編纂を命じた。奈良時代の政治・文化の出発点を担った女性天皇である。

聖武天皇

奈良時代の天皇で、疫病や社会不安が続く中、仏教による国家安定を目指して国分寺・国分尼寺の建立を命じた。奈良の東大寺に大仏を造立し、752年に開眼供養が行われた。都を恭仁京などへ移す遷都も繰り返した。

行基

奈良時代の僧で、朝廷の寺院外で民衆へ仏教を広めながら、橋・道路・池などの社会事業を各地で行った。当初は朝廷から活動を規制されたが後に認められ、聖武天皇による東大寺大仏造立では民衆への協力呼びかけを担い、745年に大僧正となった。

鑑真

8世紀唐の高僧で、日本からの招請を受けて戒律を伝えるため渡航を繰り返し、失明や遭難を経て753年に来日した。東大寺で聖武上皇らに授戒し、759年に唐招提寺を開いて日本の仏教戒律制度の整備に大きく貢献した。

阿倍仲麻呂

奈良時代に遣唐留学生として唐へ渡り、玄宗に仕えて高官となった。753年に帰国を試みたが船が難破して果たせず、その後も唐に残った。百人一首に採られた望郷の歌でも知られる。

STEP 6|遣唐使と鑑真

海を越えて、制度・学問・仏教を学ぶ

奈良時代、日本は遣唐使を唐へ送りました。使節だけでなく留学生や僧も海を渡り、政治制度、学問、仏教、文化などを学びました。航海は危険でしたが、交流によってもたらされた知識や文化は日本に大きな影響を与えました。

唐の僧鑑真は何度も渡航に失敗しながら日本に渡り、仏教の戒律を伝えました。奈良に唐招提寺を開き、日本の仏教の発展に大きな役割を果たしました。

STEP 7|天平文化

仏教と大陸の影響を受けた、国際色豊かな文化

東大寺・正倉院

奈良を代表する寺院と宝物庫です。正倉院の宝物からは、唐だけでなくシルクロードにつながる地域との交流も感じられます。

古事記・日本書紀

国の成り立ちや天皇を中心とする歴史をまとめた書物が編さんされました。奈良時代の国家づくりを考える重要な史料です。

万葉集

天皇や貴族だけでなく、防人や農民などさまざまな人々の歌を収めた歌集で、当時の人々の思いや生活を知る手がかりになります。

STEP 8|人々の暮らしと税

律令国家を支えた人々の負担

朝廷は人々に口分田を与える一方、米を納める租、布などを納める調、都で働く代わりに布などを納める庸などを負担させました。また、兵士や防人として働くこともありました。

都や寺院、国家の制度を維持するためには多くの人々の負担が必要でした。奈良時代は「立派な都や文化が生まれた時代」であると同時に、その国家を支えた人々の生活まで考えることで全体像が見えてきます。

STEP 9|TEXtTEXt

文章を読んで、奈良時代を確かめよう

ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。平城京、聖武天皇、大仏、遣唐使など、奈良時代の重要事項を文章から読み取って確かめます。

TEXtTEXt|律令国家

平城京へいじょうきょうが都みやこになった理由りゆう

律令国家りつりょうこっかでは、平城京へいじょうきょうが都みやことしてつくられました。政治せいじを行おこなう役所やくしょが集あつまり、国くにの中心ちゅうしんとなりました。全国ぜんこくの政治せいじをまとめる役割やくわりを果はたしました。

平城京へいじょうきょうが都みやことして重要じゅうようだった理由りゆうはどれですか。

TEXtTEXt|律令国家

遣唐使けんとうしが学まなんだこと

遣唐使けんとうしは中国ちゅうごくへ渡わたり、文化ぶんかや制度せいどを学まなびました。学まなんだことは日本にほんへ持もち帰かえられました。これらは律令国家りつりょうこっかづくりにも生いかされました。

遣唐使けんとうしが中国ちゅうごくへ渡わたった目的もくてきとして最もっとも適切てきせつなものはどれですか。

TEXtTEXt|律令国家

聖武天皇しょうむてんのうと仏教ぶっきょう

聖武天皇しょうむてんのうの時代じだいには、仏教ぶっきょうの力ちからで国くにを安定あんていさせようとしました。寺てらがつくられ、人々ひとびとが平和へいわを願ねがりました。政治せいじと仏教ぶっきょうが結むすびついていました。

聖武天皇しょうむてんのうが仏教ぶっきょうを重視じゅうしした目的もくてきはどれですか。

奈良時代で押さえたいポイント

1

平城京と律令国家

710年に平城京へ都が移り、律令にもとづいて全国を治める国家のしくみが運用されました。

2

聖武天皇と仏教

国分寺・国分尼寺や東大寺の大仏など、仏教の力で国を安定させようとする政策が進められました。

3

遣唐使と天平文化

大陸との交流によって制度・学問・仏教・文化が伝わり、国際色豊かな天平文化が栄えました。

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政治・仏教・文化を、一つの時代の流れとしてつなげよう

平城京と律令政治、聖武天皇と大仏、遣唐使と天平文化は別々の暗記事項ではありません。中央集権的な国家を運営し、仏教で国の安定を願い、大陸から制度や文化を学んだ時代としてつなげると、奈良時代の全体像が見えてきます。