小学6年生・中学生 社会|日本史

安土桃山時代とは?
信長と秀吉の天下統一を学ぼう。

manabisの歴史博士では、1560年の桶狭間の戦いから安土桃山時代として整理しています。織田信長が勢力を広げ、豊臣秀吉が全国統一を進めた流れと、その政治・社会・文化の変化を年表と問題で学びます。

STEP 1|まず全体像

信長から秀吉へ、全国統一が進んだ時代

戦国大名が争う中から織田信長が勢力を伸ばし、室町幕府を事実上終わらせて統一事業を進めました。本能寺の変で信長が倒れた後、その事業を引き継いだ豊臣秀吉が1590年に全国統一をほぼ完成させます。

織田信長桶狭間の戦い、上洛、長篠の戦いなどを経て勢力を拡大し、安土城を築きました。
豊臣秀吉全国統一を進め、太閤検地や刀狩によって新しい支配の仕組みを整えました。
桃山文化城郭や障壁画、茶の湯など、統一政権と豪商の力を背景に華やかな文化が発達しました。
流れで覚えよう
「信長の勢力拡大 → 本能寺の変 → 秀吉の統一 → 太閤検地・刀狩 → 桃山文化」とつなげると整理しやすくなります。

STEP 2|重要年表

桶狭間から秀吉の死まで、重要な出来事を確認しよう

歴史博士の安土桃山時代の公開年表から、学習上重要な出来事を選んで表示しています。

1560

織田信長が今川義元を破る

織田信長が今川義元を破る。応仁の乱後に幕府の支配が揺らぎ、各地の戦国大名や地域社会が新たな政治・経済秩序を形成する流れを示します。

1568

織田信長が足利義昭を奉じて上洛する

織田信長は足利義昭を奉じて京都へ入りました。義昭を将軍に就ける一方、信長自身も畿内政治への影響力を急速に強めます。

1573

織田信長が足利義昭を京都から追放する

織田信長が対立した将軍足利義昭を京都から追放しました。これによって室町幕府は事実上終わり、信長の統一事業が新たな段階へ進みます。

1575

長篠の戦いが起こる

長篠の戦いで織田・徳川軍が武田勝頼軍を破りました。多数の鉄砲が使用された戦いとして知られ、武田氏の勢力低下につながります。

1576

織田信長が安土城の築城を始める

織田信長が琵琶湖東岸で安土城の築城を始めました。壮大な天主を備えた城は、信長の政治的権威と統一事業を象徴します。

1582

本能寺の変が起こる

明智光秀が京都の本能寺で織田信長を襲撃しました。信長は自害し、その死後、豊臣秀吉が統一事業を引き継いでいきます。

1582

太閤検地につながる土地調査が始まる

秀吉は各地で土地の面積・収穫高・耕作者を調べる検地を進めました。後の太閤検地へつながり、石高を基準とする支配の基礎となります。

1587

豊臣秀吉がバテレン追放令を出す

秀吉は宣教師の国外退去を命じるバテレン追放令を出しました。ただし南蛮貿易は重視され、キリスト教への統制には揺れもありました。

1588

豊臣秀吉が刀狩令を出す

秀吉は農民から武器を取り上げる刀狩令を出しました。農民の武装を抑え、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進める政策です。

1590

豊臣秀吉による全国統一がほぼ完成する

小田原征伐と奥州仕置によって、豊臣秀吉による全国統一がほぼ完成しました。長く続いた戦国の争いは大きな区切りを迎えます。

1592

豊臣秀吉が朝鮮へ軍を派遣する

豊臣秀吉が朝鮮へ軍を派遣する。全国統一後の政権が東アジアやヨーロッパとの外交・交易を統制し、対外関係の仕組みを整えていく過程の出来事です。

1585

豊臣秀吉が関白となる

豊臣秀吉が関白となる。豊臣秀吉による全国統一から徳川氏による江戸幕府成立へ、近世の政治・社会秩序が形づくられる流れの中の出来事です。

1598

豊臣秀吉が死去する

豊臣秀吉が死去しました。幼い秀頼を残した豊臣政権では有力大名間の対立が強まり、関ヶ原の戦いへ向かいます。

STEP 3|織田信長

戦国の争いから、天下統一へ

1560年、織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破り、その後、美濃を支配して勢力を拡大しました。1568年には足利義昭を奉じて京都へ入り、畿内の政治に大きな影響力を持つようになります。

1573年には足利義昭を京都から追放し、室町幕府は事実上終わりました。1575年の長篠の戦いでは織田・徳川軍が武田軍を破り、1576年からは琵琶湖のほとりに安土城を築きました。

STEP 4|本能寺の変

1582年、信長が倒れ、統一事業は秀吉へ

1582年、家臣の明智光秀が京都の本能寺で織田信長を襲いました。信長は自害し、全国統一を目前にしてその生涯を終えます。

その後、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が明智光秀を破り、信長の後継者として急速に勢力を伸ばしていきました。

STEP 5|豊臣秀吉

1590年、全国統一をほぼ完成させる

豊臣秀吉は各地の大名を従え、1585年に関白となりました。九州平定などを進め、1590年には小田原の北条氏を降伏させ、奥州の大名も服属させて全国統一をほぼ完成させました。

長く続いた戦国の争いは大きな区切りを迎え、全国を一つの政権が支配する近世社会へ移っていきます。

STEP 6|太閤検地と刀狩

土地と人々を把握し、兵農分離を進める

太閤検地では、土地の面積や収穫高、耕作者などを調べ、石高を基準として土地を把握しました。1588年の刀狩令では農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進めました。

これらの政策は、大名や農村を統一的に支配する仕組みを整え、江戸時代へ続く社会の基礎の一つとなりました。

STEP 7|対外政策

キリスト教を統制し、朝鮮へ出兵する

秀吉は南蛮貿易を重視する一方、1587年にバテレン追放令を出して宣教師の国外退去を命じました。1592年からは朝鮮へ軍を派遣し、戦いは秀吉が死去する1598年まで続きました。

安土桃山時代は、国内統一だけでなく、東アジアやヨーロッパとの関係が政治に大きく関わった時代でもあります。

STEP 8|桃山文化

城と茶の湯に象徴される、豪華で力強い文化

統一政権の成立と都市・商業の発展を背景に、壮大な城郭や豪華な障壁画などが発達しました。一方、茶人の千利休は、簡素さを重んじる侘茶を大成しました。

安土城や大坂城などの城郭、茶の湯、南蛮文化など、この時代には政治権力・商業・海外交流が結び付いた多様な文化が見られます。

STEP 9|重要な人物

安土桃山時代を動かした人物を、歴史博士から確認しよう

織田信長

尾張から勢力を拡大し、1568年に足利義昭を奉じて上洛。室町幕府を終焉させ、畿内を中心に統一事業を進めた。楽市・楽座や関所撤廃などを進め、1582年の本能寺の変で自害した。

豊臣秀吉

織田信長の家臣から台頭し、本能寺の変後に明智光秀を破って全国統一を進めた。1590年に全国統一を達成し、のち朝鮮へ出兵した。

明智光秀

織田信長に仕え、近畿方面の軍事・行政を担った。1582年に本能寺の変を起こして信長を討ったが、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、その後死亡した。『三日天下』は慣用表現。

千利休

堺の商人出身の茶人。武野紹鴎らの茶を受け継ぎ、織田信長・豊臣秀吉に仕えて侘茶を大成した。1591年、秀吉の命で切腹した。

石田三成

豊臣秀吉に仕え、検地・兵站・行政などを担う奉行として活動した。秀吉死後、徳川家康と対立する諸勢力をまとめ、1600年の関ヶ原の戦いで西軍側を主導した。

STEP 10|TEXtTEXt

文章を読んで、安土桃山時代を確かめよう

ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。

TEXtTEXt|戦国〜安土桃山

鉄砲てっぽうを生いかした戦たたかい

織田信長おだのぶながは鉄砲てっぽうを戦たたかいで効果的こうかてきに用もちいました。勢力せいりょくをしだいに広ひろげ、全国統一ぜんこくとういつを目指めざしました。新あたらしい戦たたかい方かたが発展はってんしました。

織田信長おだのぶながが勢力せいりょくを広ひろげることにつながったものはどれですか。

TEXtTEXt|戦国〜安土桃山

長篠ながしのの戦たたかいと鉄砲てっぽうの活用かつよう

長篠ながしのの戦たたかいでは、鉄砲てっぽうをまとまって使つかうくふうがされました。兵へいを交代こうたいさせながら続つづけて撃うつことで、相手あいての攻撃こうげきを弱よわめました。これにより、戦たたかい方かたが大おおきく変化へんかしていきました。

戦たたかい方かたが変化へんかした理由りゆうとしてもっとも適てきしているものはどれですか。

TEXtTEXt|戦国〜安土桃山

本能寺ほんのうじの変へんと政権せいけんの変化へんか

織田おだ信長のぶながは全国ぜんこく統一とういつを進すすめていました。ところが本能寺ほんのうじで家臣かしんの明智あけち光秀みつひでに攻せめられ、信長のぶながは命いのちを落おとしました。この出来事できごとによって全国ぜんこく統一とういつの流ながれは大おおきく変かわりました。

全国ぜんこく統一とういつの流ながれが変かわった理由りゆうはどれですか。

安土桃山時代で押さえたいポイント

1

信長から秀吉へ

織田信長が進めた統一事業を、信長の死後に豊臣秀吉が引き継ぎました。

2

全国統一と新しい支配

秀吉は全国統一を進め、太閤検地と刀狩によって近世につながる支配の基礎を整えました。

3

桃山文化と海外交流

城郭や茶の湯などが発達し、南蛮貿易やキリスト教を通じた海外との交流も続きました。

もっと詳しく調べる・問題を解く

戦国の争いから、全国統一と近世社会へ

安土桃山時代には、織田信長と豊臣秀吉によって全国統一が進みました。太閤検地や刀狩などの政策は社会の仕組みを大きく変え、次の江戸時代へつながる土台となります。