徳川家康が江戸を本拠とする
徳川家康が江戸を本拠とする。豊臣秀吉による全国統一から徳川氏による江戸幕府成立へ、近世の政治・社会秩序が形づくられる流れの中の出来事です。
小学6年生・中学生 社会|日本史
1600年の関ヶ原の戦いから1603年の江戸幕府成立へ。徳川氏による政治、大名統制、対外関係、産業と文化の発展、三大改革、そして幕末の開国から幕府の終わりまでを、年表と問題でつなげて学びます。
STEP 1|まず全体像
徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いで勝利し、1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。幕府は大名を統制しながら全国を支配し、長い平和の中で農業・商業・都市・交通・文化が発展します。
STEP 2|重要年表
時代の境界も含め、江戸時代の始まりと終わりが流れで分かる重要な出来事を、歴史博士の公開年表から選んで表示しています。
徳川家康が江戸を本拠とする。豊臣秀吉による全国統一から徳川氏による江戸幕府成立へ、近世の政治・社会秩序が形づくられる流れの中の出来事です。
徳川家康率いる東軍と石田三成らの西軍が関ヶ原で戦いました。東軍の勝利によって家康は全国支配で圧倒的な優位に立ちます。
徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きました。以後約260年続く江戸幕府による武家政治の基礎が築かれます。
幕府は大名を統制する基本法として武家諸法度を制定しました。城の修築や婚姻などを規制し、幕府が大名を統制する基準となります。
武家諸法度の寛永令で参勤交代が制度化されました。大名は江戸と領地を往復し、幕府による大名統制の重要な仕組みとなります。
重い年貢やキリスト教弾圧などを背景に島原・天草一揆が起こりました。鎮圧後、幕府は禁教と対外統制をさらに強化します。
オランダ商館が平戸から長崎の出島へ移されました。オランダはヨーロッパ諸国の中で幕府との貿易を続ける国となります。
徳川綱吉が第5代将軍となりました。儒学を重視する一方、生類憐み政策を進めた将軍として知られ、元禄期の政治を担います。
徳川吉宗が幕府財政や行政の立て直しを目指して享保の改革を始めました。新田開発・倹約・制度改革など幅広い政策が行われます。
松平定信が寛政の改革を始めました。倹約、農村復興、旗本・御家人救済、学問統制などを通じて幕府政治の立て直しを図ります。
老中水野忠邦が天保の改革を本格化させました。倹約、株仲間解散、人返しなどで幕府財政と社会秩序の立て直しを図ります。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀へ来航しました。開国を求める国書を渡し、幕府の対外政策を大きく転換させる契機となります。
幕府とアメリカが日米和親条約を結び、下田・箱館を開きました。これにより幕府の対外政策は大きく転換し、日本の開国が始まります。
大老井伊直弼のもとで日米修好通商条約が調印されました。領事裁判権を認め、関税自主権を欠くなど、日本に不利な内容を含む条約でした。
15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷へ返す大政奉還を行いました。江戸幕府による政治は終結へ向かい、新しい政治体制をめぐる動きが始まります。
王政復古の大号令が出され、幕府・摂政・関白などを廃して新政府の成立が宣言されました。政治の主導権は徳川幕府から新政府へ移ります。
大政奉還と王政復古によって江戸幕府による政治は終わりました。ただし旧幕府勢力との対立は続き、翌年から戊辰戦争が始まります。
旧幕府勢力と新政府軍による戊辰戦争が始まりました。戦いは東北・北海道へ広がり、新政府による全国統一へつながります。
STEP 3|幕府の成立
1590年、徳川家康は江戸を本拠としました。1600年の関ヶ原の戦いで石田三成らの西軍を破ると全国支配で大きな優位に立ち、1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。
1615年には豊臣氏が滅び、同じ年に武家諸法度が制定されます。戦国時代から続いた大規模な争いが終わり、徳川氏を中心とする政治の仕組みが固まっていきました。
STEP 4|幕藩体制
江戸幕府は、幕府が直接支配する土地と各大名が治める藩を組み合わせて全国を支配しました。大名には武家諸法度を守らせ、1635年には参勤交代を制度化します。
大名が江戸と領地を定期的に往復する仕組みは、大名統制だけでなく、街道や宿場、江戸の発展にも関わりました。
STEP 5|対外関係
幕府はキリスト教を禁じ、日本人の海外渡航などを制限し、1637年の島原・天草一揆後には統制をさらに強めました。1641年にはオランダ商館が長崎の出島へ移されます。
ただし海外との関係が完全に途絶えたわけではありません。長崎では中国・オランダ、対馬では朝鮮、薩摩では琉球、松前ではアイヌとの交易・交流が続きました。江戸時代の対外関係は、幕府が窓口を限定して管理した仕組みとして捉えることが大切です。
STEP 6|産業・都市・文化
新田開発や農具の改良によって農業生産が増え、街道や海運が整備されると全国の商品流通も活発になりました。江戸・大坂・京都などの都市が発展し、町人の力も強まります。
17世紀後半から18世紀初めには元禄文化が栄え、松尾芭蕉、近松門左衛門などが活躍しました。江戸後期には浮世絵や文学など庶民が楽しむ文化が広がり、蘭学など海外の知識も学ばれました。
STEP 7|三大改革
商品経済が発達する一方、幕府や藩の財政は苦しくなり、飢饉などによる社会不安も起こりました。8代将軍徳川吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革など、幕府は政治と財政の立て直しを繰り返します。
改革の内容だけを暗記するのではなく、社会や経済が変化する中で、幕府がどのように支配を立て直そうとしたのかを見ると理解しやすくなります。
STEP 8|開国
1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀へ来航して開国を求めました。翌1854年に日米和親条約が結ばれ、1858年には日米修好通商条約が調印されます。
開国後は貿易が始まる一方、政治や社会の混乱も強まりました。幕府への批判、尊王攘夷運動、薩摩藩・長州藩などの動きが重なり、幕府の支配は大きく揺らいでいきます。
STEP 9|幕府の終わり
1867年、15代将軍徳川慶喜は大政奉還を行い、政権を朝廷へ返しました。同年の王政復古によって新政府の成立が宣言され、江戸幕府による政治は終わります。
ただし、そこで争いがすべて終わったわけではありません。1868年には旧幕府勢力と新政府軍による戊辰戦争が始まります。江戸時代から明治時代への境界は、一つの年だけで切るのではなく、この一連の変化として理解することが重要です。
STEP 10|重要な人物
戦国大名から天下統一政権の担い手となり、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成ら西軍を破った。1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開き、2年後に将軍職を秀忠へ譲った後も大御所として政治を主導した。1614〜15年の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、約260年続く幕府の基礎を築いた。
江戸幕府第3代将軍で、参勤交代を制度化して大名統制を強化した。島原・天草一揆を鎮圧し、ポルトガル船の来航を禁止するなど対外統制を進め、いわゆる「鎖国」体制が整う時期を主導した。日光東照宮の大規模改築も行った。
紀州徳川家から迎えられた江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」を進めた。倹約、上米の制、目安箱、公事方御定書などで幕府財政と行政の立て直しを図り、青木昆陽らを登用して実学も奨励した。米価への対応から「米将軍」とも呼ばれた。
白河藩主から老中首座となり、寛政の改革を主導した。倹約、囲米、学問統制など幕府財政・社会秩序の再建を図った。寛政異学の禁は朱子学以外を全国的に全面禁止した政策ではなく、昌平坂学問所の教学統制が中心。
老中・大名。老中首座として天保の改革を主導し、倹約令・株仲間解散・上知令などを進めたが、強い反発を受け失脚した。上知令は実施に至らず撤回された。
アメリカ東インド艦隊司令長官。1853年に4隻の艦隊を率いて浦賀へ来航し、フィルモア大統領の国書を幕府へ渡して開国を求めた。翌1854年に再来航し、幕府との交渉を経て日米和親条約が結ばれた。
大老・大名。彦根藩主から大老となり、勅許を得ないまま日米修好通商条約調印を進めた。安政の大獄で反対派を処罰し、桜田門外の変で暗殺された。
江戸幕府第15代にして最後の将軍。1866年に将軍となり、フランス式軍制など幕政改革を進めたが、翌1867年に大政奉還を行って政権を朝廷へ返した。鳥羽・伏見の戦い後は江戸へ退き、戊辰戦争では恭順の姿勢を取った。
幕末の土佐出身の志士で、脱藩後に勝海舟の神戸海軍操練所に関わり、のち長崎で亀山社中・海援隊を組織して貿易と航海を行った。薩長両藩の接近を仲介し、大政奉還期には新政府構想にも関与した。1867年、京都の近江屋で襲撃され死亡した。
STEP 11|TEXtTEXt
ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。
徳川家康が江戸で行ったことはどれですか。
江戸幕府の政治の特徴はどれですか。
参勤交代で大名はどのようにしましたか。
徳川家康が江戸幕府を開き、武家諸法度や参勤交代などによって大名を統制しました。
農業・商業・交通・都市が発達し、町人文化や学問も広がりました。
外国船の接近と開国をきっかけに政治が大きく動き、大政奉還・王政復古を経て明治へ移ります。
江戸時代は、徳川氏による安定した支配のもとで社会・経済・文化が大きく発展し、その変化が幕府の政治にも影響した時代です。幕末の開国と政治の転換は、次の明治時代へつながっていきます。