大政奉還が行われる
15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷へ返す大政奉還を行いました。江戸幕府による政治は終結へ向かい、新しい政治体制をめぐる動きが始まります。
小学6年生・中学生 社会|日本史
1867年の大政奉還・王政復古から、戊辰戦争と明治維新、新政府による改革、文明開化、自由民権運動、憲法と議会、日清・日露戦争、条約改正までを、年表と問題でつなげて学びます。
STEP 1|まず全体像
江戸幕府が終わると、新政府は政治・身分・土地・軍事・教育・産業などの制度を大きく改めました。こうした一連の変革を明治維新と呼びます。日本は欧米諸国の制度や技術を取り入れながら、中央集権的な近代国家をつくっていきました。
STEP 2|重要年表
時代の境界を切り離さず、1867年の大政奉還・王政復古から明治国家の形成、1911年の条約改正までを、歴史博士の公開年表から選んで表示しています。
15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷へ返す大政奉還を行いました。江戸幕府による政治は終結へ向かい、新しい政治体制をめぐる動きが始まります。
王政復古の大号令が出され、幕府・摂政・関白などを廃して新政府の成立が宣言されました。政治の主導権は徳川幕府から新政府へ移ります。
旧幕府勢力と新政府軍による戊辰戦争が始まりました。戦いは東北・北海道へ広がり、新政府による全国統一へつながります。
明治政府は五箇条の御誓文を発表し、公議世論の尊重や知識を世界に求めることなど、新しい政治の基本方針を示しました。
戊辰戦争が終わる。明治維新後、日本は政治制度・産業・教育・軍事・社会制度を大きく改め、近代国家を形成していく過程にありました。
各藩主が土地と人民を朝廷へ返す版籍奉還が行われました。中央集権国家をつくるため、政府が藩を直接統制する方向へ進みます。
明治政府は藩を廃止して府県を置く廃藩置県を実施しました。政府が全国の地方行政を直接支配する中央集権体制が整えられます。
明治政府は学制を公布し、全国的な近代学校制度の整備を始めました。身分や地域を越えて教育を普及させることを目指します。
官営模範工場の富岡製糸場が操業を始めました。西洋式の製糸技術を導入し、生糸の品質向上と近代産業育成を目指しました。
明治政府が徴兵令を出し、原則として国民男子に兵役義務を課しました。旧武士身分に依存しない近代的な国民軍の形成を進めます。
地租改正条例が公布され、土地の価格を基準に現金で税を納める制度へ改革されました。政府の安定した財源を確保する重要な制度改革です。
板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出し、国会の開設を求めました。これを契機として自由民権運動が全国へ広がっていきます。
西郷隆盛を中心とする士族が政府軍と戦う西南戦争が起こりました。政府軍の勝利により、大規模な士族の武力反乱はほぼ終息します。
政府は国会開設の勅諭を出し、1890年に国会を開くことを約束しました。自由民権運動が求めた国会開設が具体的な政治日程となります。
大日本帝国憲法が発布され、天皇を中心とする立憲国家の制度が定められました。翌年の帝国議会開設へ向けた政治体制が整います。
第1回帝国議会が開かれました。衆議院と貴族院からなる議会が成立し、憲法にもとづく立憲政治が実際に始まります。
朝鮮をめぐる対立を背景に日本と清の間で日清戦争が始まりました。日本の勝利は東アジアの国際関係を大きく変えることになります。
満州・朝鮮をめぐる日本とロシアの対立から日露戦争が始まりました。戦争は日本の国際的地位と東アジア支配に大きな影響を与えます。
日露戦争後、日本とロシアがポーツマス条約を結びました。日本は韓国での優越権や南樺太などを得ましたが、賠償金は得られませんでした。
日本は韓国併合条約にもとづき韓国を併合しました。朝鮮総督府を置き、1945年まで朝鮮を植民地として支配します。
日米通商航海条約の改正により、日本は関税自主権を回復しました。これによって幕末以来の不平等条約改正がほぼ完成します。
STEP 3|明治維新
1867年、徳川慶喜が大政奉還を行い、続く王政復古によって新政府の成立が宣言されました。しかし政治の転換は一日で終わったわけではなく、1868年から旧幕府勢力と新政府軍による戊辰戦争が起こります。
新政府は1868年に五箇条の御誓文を示し、新しい政治の基本方針を発表しました。1869年には版籍奉還、1871年には廃藩置県を行い、政府が全国を直接統治する中央集権国家へ進みました。
STEP 4|近代化と文明開化
明治政府は1872年に学制を公布し、富岡製糸場を開設しました。1873年には徴兵令と地租改正を進め、近代的な軍隊と安定した税制度を整えていきます。
鉄道、郵便、西洋風の建築や服装など、新しい制度や文化が広がった変化は文明開化と呼ばれます。一方、急速な改革に対する不満も生まれ、1877年には西郷隆盛を中心とする西南戦争が起こりました。
STEP 5|自由民権運動
1874年、板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出し、国会の開設を求めました。これをきっかけに自由民権運動が各地へ広がります。
政府は1881年に国会開設の勅諭を出し、1890年に国会を開くことを約束しました。政府と民権運動の動きを経ながら、日本の立憲政治の仕組みが形づくられていきます。
STEP 6|憲法と議会
1889年、大日本帝国憲法が発布されました。翌1890年には第1回帝国議会が開かれ、衆議院と貴族院からなる議会制度が始まります。
憲法制定と議会開設によって、日本は憲法にもとづいて政治を行う立憲国家としての制度を整えました。同時に、選挙権を持てる人は当初ごく限られており、その後も政治参加を広げる動きが続きます。
STEP 7|日清・日露戦争
1894年、朝鮮をめぐる対立を背景に日清戦争が始まり、日本が勝利しました。その後、日本は東アジアへの関与を強めていきます。
1904年には満州・朝鮮をめぐる対立から日露戦争が始まり、1905年のポーツマス条約で講和しました。1910年には日本が韓国を併合し、朝鮮を植民地として支配するようになります。戦争の勝敗だけでなく、その後の東アジアの人々への影響まで含めて捉えることが大切です。
STEP 8|条約改正
幕末の1858年に結ばれた通商条約には、領事裁判権を認め、日本に関税自主権がないなど不平等な内容が含まれていました。明治政府は長い時間をかけてその改正を進めます。
1894年には陸奥宗光のもとで領事裁判権の撤廃につながる条約改正が実現し、1911年には小村寿太郎のもとで関税自主権を回復しました。これによって幕末以来の不平等条約改正がほぼ完成します。
STEP 9|重要な人物
第122代天皇として1867年に即位し、翌1868年の明治維新で江戸幕府から新政府へ政治体制が大きく転換した。東京への遷都、廃藩置県、近代国家建設が進み、大日本帝国憲法発布や日清・日露戦争もその治世に起こった。
薩摩藩士として幕末政局に関与し、薩長提携や戊辰戦争で新政府側の中心人物となった。維新後は参議となり、征韓論政変で下野。1877年の西南戦争で政府軍と戦い死亡した。江戸城無血開城は勝海舟との会談を軸に多数の政治交渉・軍事情勢が作用。
薩摩藩士として倒幕・新政府樹立に関与し、明治政府では岩倉使節団副使、内務卿などを務めた。殖産興業・中央集権化を推進し、紀尾井坂で暗殺された。『独裁者』という後世評価と制度形成上の実績を分離。
長州藩士。維新後は五箇条の御誓文、版籍奉還・廃藩置県など新政府の制度改革に携わった。『維新三傑』は後世の総称。制度改革は複数政治家の共同過程。
土佐藩士として戊辰戦争に参加。明治政府を辞職後、民撰議院設立建白書を提出し、自由党を結成して自由民権運動を指導した。
長州藩出身の政治家。幕末にイギリスへ渡航し、明治維新後は政府の要職を歴任した。大日本帝国憲法の制定を主導し、1885年に初代内閣総理大臣となった。その後も合わせて4度首相を務め、明治政府の制度づくりに大きく関わった。
紀州藩出身。幕末には海援隊に関わり、明治政府で外務大臣を務めた。1894年の日英通商航海条約により領事裁判権撤廃を実現し、条約改正を進展させた。
外務大臣として日英同盟、日露戦争後のポーツマス条約交渉などに携わった。1911年の日米通商航海条約で関税自主権回復を実現した。
STEP 10|TEXtTEXt
ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。
廃藩置県によって全国はどのように変わりましたか。
文明開化では、どのような変化が進められましたか。
自由民権運動が広がった理由として最も適切なものはどれですか。
版籍奉還・廃藩置県などを進め、幕藩体制に代わる新しい国家の仕組みを整えました。
教育・軍事・税・産業を改革し、自由民権運動を経て憲法と議会が成立しました。
条約改正を進める一方、日清・日露戦争や韓国併合を通じて東アジアへの支配を強めました。
明治時代は、江戸幕府の終わりから新しい国家制度をつくり、政治・社会・産業・外交が急速に変化した時代です。国内の近代化と、東アジアをめぐる国際関係の変化を一つの流れとして捉えましょう。