GHQによる日本占領が始まる
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとで日本占領が始まりました。日本政府を通じた間接統治によって民主化・非軍事化が進められます。
小学6年生・中学生 社会|日本史
1945年の敗戦後、日本の政治・社会・暮らしは大きく変わりました。GHQによる占領と戦後改革、日本国憲法、主権回復、高度経済成長を経て、1972年の沖縄返還へ至るまでを一本の流れで学びます。
STEP 1|まず全体像
敗戦後、日本はGHQの占領下で民主化・非軍事化を進めました。日本国憲法の制定、農地改革などによって社会の仕組みが大きく変わり、1952年には主権を回復します。その後は高度経済成長によって生活や都市が急速に変化する一方、公害など新しい問題も生まれました。
STEP 2|重要年表
敗戦を境界として前ページと重ねながら、戦後日本の成立と成長を示す出来事を確認します。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとで日本占領が始まりました。日本政府を通じた間接統治によって民主化・非軍事化が進められます。
GHQは女性解放、労働組合結成の奨励、教育の自由化など五大改革を指示しました。戦前の政治・社会制度を民主化する改革が進みます。
第二次農地改革によって地主の小作地を政府が買い上げ、小作農へ売り渡しました。自作農が大幅に増え、地主制は大きく後退します。
日本国憲法が公布されました。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を基本原理とし、戦後日本の政治制度の基礎となります。
日本国憲法が施行されました。天皇は日本国と日本国民統合の象徴となり、国会を中心とする新しい民主政治が始まります。
日本は連合国の多くとサンフランシスコ平和条約を調印しました。翌1952年の発効によって占領が終わり、日本は主権を回復します。
サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は主権を回復しました。GHQによる占領が終わり、国際社会へ独立国として復帰します。
日ソ共同宣言によって日本とソ連の戦争状態が終了し、国交が回復しました。この国交正常化は日本の国連加盟にもつながります。
経済白書が「もはや戦後ではない」と記し、戦後復興から新たな成長段階への移行を象徴しました。高度経済成長が本格化する時期の表現です。
日本が国際連合に加盟しました。日ソ国交回復を経て実現し、戦後日本の国際社会への復帰を象徴する出来事です。
熊本県水俣市で原因不明の神経症状を示す患者が公式に確認されました。後に工場排水中のメチル水銀による水俣病と判明します。
東京―新大阪間で東海道新幹線が開業しました。高速大量輸送を実現し、高度経済成長を象徴する交通インフラとなります。
東京オリンピックが開催されました。戦後復興と経済成長を世界へ示す機会となり、交通・都市インフラ整備も大きく進みました。
公害対策基本法が制定され、国が公害対策を総合的に進める法的枠組みが整えられました。高度経済成長に伴う環境問題への対応です。
大阪で日本万国博覧会が開催され、国内外から多数の人が訪れました。高度成長の成果と科学技術への期待を象徴する国家的イベントです。
公害問題の深刻化を受けて「公害国会」が開かれ、公害対策基本法の改正など多数の関連法が整備されました。経済成長優先の政策が見直される転換点です。
沖縄が日本に返還される。戦後処理と冷戦下の国際関係が変化する中、日本はアジア諸国との外交・経済関係を広げ、国際的な役割を高めました。
日中共同声明により日本と中華人民共和国の国交が正常化する。戦後処理と冷戦下の国際関係が変化する中、日本はアジア諸国との外交・経済関係を広げ、国際的な役割を高めました。
STEP 3|GHQと戦後改革
1945年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領が始まりました。日本政府を通じた間接統治のもとで、女性参政権、労働組合の育成、教育改革などの民主化が進められます。
農地改革や財閥解体など経済面の改革も進み、戦前とは異なる社会の仕組みがつくられていきました。
STEP 4|日本国憲法
日本国憲法は1946年に公布され、1947年5月3日に施行されました。基本原理は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義です。教育基本法や学校教育法なども整えられ、現在につながる政治・教育制度の基礎が形づくられました。
STEP 5|主権回復と国際社会
1951年、日本は多くの連合国とサンフランシスコ平和条約を結び、1952年の発効によって主権を回復しました。1956年には日ソ共同宣言によってソ連との国交を回復し、同年、日本は国際連合へ加盟しました。
1956年の経済白書に登場した「もはや戦後ではない」という表現は、復興から新しい成長段階へ移る時期を象徴しています。
STEP 6|高度経済成長
1950年代後半から日本経済は急速に成長しました。工業化や都市化が進み、家電製品が家庭へ普及し、交通網も整備されます。1964年には東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催されました。
これらは戦後復興を越えて、日本の社会と生活が大きく変化したことを象徴する出来事です。
STEP 7|成長のかげで生まれた問題
工業生産が拡大する一方、水俣病などの公害が深刻な社会問題になりました。1967年には公害対策基本法が制定され、1970年の「公害国会」では関連する法律がまとめて整備されました。
高度経済成長は豊かさをもたらしただけでなく、環境や健康への影響を社会全体で考えるきっかけにもなりました。
STEP 8|1972年という区切り
沖縄は戦後、アメリカの施政権下に置かれていましたが、1972年に日本へ返還されました。同じ年には日本と中華人民共和国の国交正常化も実現します。
このページでは1972年を、日本が敗戦・占領から復興と高度経済成長を経て、戦後の国際関係を大きく組み直した時期の一区切りとして扱います。
STEP 9|重要な人物
アメリカの軍人で、第二次世界大戦では南西太平洋方面の連合軍を指揮し、日本の降伏後は連合国軍最高司令官として占領政策を主導した。朝鮮戦争でも国連軍司令官を務めたが、中国への戦争拡大をめぐりトルーマン大統領と対立して解任された。
敗戦後に複数期首相を務め、占領下の復興と講和を進めた。1951年にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約へ署名した。
大蔵官僚出身の政治家。1960年から1964年まで内閣総理大臣を務め、「所得倍増計画」を掲げて経済成長を重視する政策を進めた。高度経済成長期の日本で、国民所得の増加や産業発展を政策目標として示した。
STEP 10|TEXtTEXt
ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。
敗戦の後の日本の状況として適切なものはどれですか。
GHQが民主化を進めたことで起こった変化はどれですか。
日本国憲法が施行されたことによる変化として適切なものはどれですか。
占領と戦後改革、日本国憲法によって、現在につながる政治・社会制度の基礎がつくられました。
主権回復と国際社会への復帰を進めながら、経済と人々の暮らしが急速に変化しました。
高度経済成長の一方で公害などの問題が生まれ、1972年の沖縄返還まで戦後処理も続きました。
敗戦後の改革で政治や社会の制度が変わり、主権回復、高度経済成長を通じて人々の暮らしも大きく変化しました。出来事を暗記するだけでなく、「何が戦前から変わり、何が現在につながっているのか」を考えながら年表を見てみましょう。