小学6年生・中学生 社会|日本史

昭和・戦前とは?
恐慌から戦争、1945年の敗戦までを学ぼう。

昭和初期の経済不安から満州事変、日中戦争、太平洋戦争へ、日本はどのように戦争を拡大していったのでしょうか。1926年の昭和開始から1945年の敗戦までを、政治・国際関係・人々の暮らしをつないで学びます。

STEP 1|まず全体像

恐慌と軍部の台頭から、戦争の拡大と敗戦へ

昭和初期、日本は金融恐慌や世界恐慌の影響を受けました。社会不安が強まるなかで軍部の政治的影響力が増し、1931年の満州事変、1937年の日中戦争へと進みます。戦争は長期化し、1941年にはアメリカ・イギリスなどとの太平洋戦争が始まりました。

恐慌と軍部昭和金融恐慌・世界恐慌の中で社会不安が強まり、満州事変や政治的事件を経て軍部の影響力が増しました。
戦争の拡大日中戦争が長期化し、国家総動員法などによって社会全体が戦争へ動員されました。
太平洋戦争と敗戦1941年に太平洋戦争が始まり、戦局悪化、沖縄戦、原爆投下などを経て1945年に日本は降伏しました。
流れで覚えよう
「恐慌 → 満州事変 → 軍部の台頭 → 日中戦争 → 戦時体制 → 太平洋戦争 → 戦局悪化 → 1945年の敗戦」とつなげます。

STEP 2|重要年表

1927年の昭和金融恐慌から1945年の敗戦まで

大正から昭和への境界も含め、戦争へ向かう変化と戦争終結までの重要な出来事を年表で確認します。

1927

昭和金融恐慌が起こる

昭和金融恐慌が起こる。世界経済の変動が日本の企業・金融・農村へ波及し、恐慌への対応と軍需を軸とする重化学工業化が進んでいきました。

1929

世界恐慌が始まる

アメリカから始まった世界恐慌が世界各地へ広がりました。日本でも輸出の減少や物価下落を通じて昭和恐慌が深刻化します。

1931

満州事変が起こる

関東軍が柳条湖事件をきっかけに軍事行動を拡大し、満州事変が始まりました。政府の統制を超えた軍部の行動が強まる転換点となります。

1932

五・一五事件が起こる

海軍青年将校らが首相官邸などを襲撃し、犬養毅首相を暗殺しました。これを機に政党内閣の時代は事実上終わります。

1933

日本が国際連盟からの脱退を通告する

満州事変をめぐる国際連盟の判断に反発し、日本は国際連盟からの脱退を通告しました。国際協調から離れる動きが鮮明になります。

1936

二・二六事件が起こる

陸軍青年将校らが政府要人を襲撃する二・二六事件を起こしました。反乱は鎮圧されましたが、その後軍部の政治的影響力がさらに強まります。

1937

日中戦争が始まる

盧溝橋事件をきっかけに日本と中国の全面的な戦争へ拡大しました。戦争は長期化し、日本の国内体制や対外関係も戦時体制へ変化します。

1938

国家総動員法が制定される

国家総動員法が制定され、政府が議会の承認を経ずに人的・物的資源を広く統制できるようになりました。総力戦体制が法的に強化されます。

1940

日独伊三国同盟が結ばれる

日本・ドイツ・イタリアが日独伊三国同盟を結びました。日本は米英との対立を深め、枢軸国との結び付きを強めます。

1941

日本軍が真珠湾を攻撃する

日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃しました。同時期に東南アジアでも軍事行動を開始し、アメリカ・イギリスなどとの戦争へ入ります。

1941

太平洋戦争が始まる

真珠湾攻撃とマレー半島への攻撃などによって太平洋戦争が始まりました。日本は東南アジア・太平洋へ占領地域を急速に広げます。

1942

ミッドウェー海戦が行われる

ミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻を失う大きな損害を受けました。太平洋戦争の戦局が日本に不利になる重要な転換点です。

1943

学徒出陣が始まる

大学などの文科系学生への徴兵猶予が停止され、学徒出陣が始まりました。兵力不足が深刻化し、若い学生も戦場へ送られます。

1944

学徒勤労動員が本格化する

学徒勤労動員が本格化する。長期化する戦争のため、政府は労働力・物資・教育・日常生活まで統制し、国民を総力戦へ動員する体制を強めました。

1945

沖縄戦が始まる

アメリカ軍が沖縄へ上陸し、住民を巻き込む激しい地上戦が行われました。多数の軍人・民間人が犠牲となり、沖縄は甚大な被害を受けます。

1945

ポツダム宣言が発表される

アメリカ・イギリス・中国が日本へ無条件降伏などを求めるポツダム宣言を発表しました。日本政府は8月に受諾を決定します。

1945

広島に原子爆弾が投下される

アメリカ軍が広島へ原子爆弾を投下しました。都市は壊滅的被害を受け、多数の人々が死亡し、放射線による被害も長く続きました。

1945

長崎に原子爆弾が投下される

アメリカ軍が長崎へ原子爆弾を投下しました。広島に続く核兵器の使用によって、多数の市民が死亡し、長期的な放射線被害も生じました。

1945

日本政府がポツダム宣言受諾を決定する

日本政府がポツダム宣言の受諾を決定しました。8月15日に国民へ伝えられ、9月2日の降伏文書調印へつながります。

1945

8月15日に天皇の放送で国民へ終戦が伝えられる

昭和天皇の放送によって、ポツダム宣言受諾が国民へ伝えられました。日本では8月15日が戦争終結を象徴する日となっています。

STEP 3|恐慌と満州事変

経済不安が深まり、1931年に満州事変が起こる

1927年の昭和金融恐慌に続き、1929年にアメリカから始まった世界恐慌は日本にも大きな影響を与えました。輸出の減少や農村の困窮などで社会不安が強まります。

1931年、関東軍は柳条湖事件をきっかけに軍事行動を拡大し、満州事変が始まりました。その後、日本は国際連盟からの脱退を通告し、国際協調から離れていきます。

STEP 4|軍部の台頭

五・一五事件、二・二六事件を経て政治への影響力が強まる

1932年の五・一五事件では犬養毅首相が暗殺され、政党内閣の時代は事実上終わりました。1936年の二・二六事件は鎮圧されましたが、その後、軍部の政治的影響力はさらに強まりました。

STEP 5|日中戦争と戦時体制

1937年、日中戦争が始まり長期化する

1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まりました。戦闘は各地へ広がり、戦争は長期化します。1938年には国家総動員法が制定され、人や物資を戦争のために広く動員・統制する体制が強化されました。

学校や職場、物資、報道など、人々の日常生活も戦争と深く結び付けられていきました。

STEP 6|太平洋戦争

1941年、アメリカ・イギリスなどとの戦争へ

日中戦争が続くなか、日本は東南アジアへ軍事行動を広げ、アメリカなどとの対立を深めました。1940年には日独伊三国同盟を結び、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃などをきっかけに太平洋戦争が始まりました。

当初、日本は占領地域を広げましたが、1942年のミッドウェー海戦などを境に戦局は厳しくなっていきます。

STEP 7|戦時下の暮らし

戦争は兵士だけでなく、社会全体を巻き込んだ

戦争が長期化すると、食料や衣料など多くの物資が不足し、配給や統制が強まりました。学生も学徒出陣や勤労動員によって戦争に組み込まれていきます。

空襲も各地へ広がり、多くの民間人が被害を受けました。戦争を学ぶときには、戦場の出来事だけでなく、国内や占領地域で暮らした人々への影響も合わせて考えることが重要です。

STEP 8|1945年の敗戦

沖縄戦、原爆投下を経て、日本はポツダム宣言を受諾

1945年には沖縄戦で住民を巻き込む激しい地上戦が行われました。7月には連合国がポツダム宣言を発表し、8月には広島と長崎へ原子爆弾が投下され、ソ連も対日参戦しました。

日本政府はポツダム宣言の受諾を決定し、8月15日にその決定が国民へ伝えられました。9月2日の降伏文書調印によって、日本の降伏が正式な手続きとして確定します。このページでは1945年の敗戦を区切りとし、その後のGHQ占領、戦後改革、日本国憲法は次の「戦後日本」で学びます。

STEP 9|重要な人物

昭和前期の政治と戦争に関わった人物を確認しよう

昭和天皇

第124代天皇として1926年から1989年まで在位し、昭和という長い時代を経験した。満州事変、日中戦争、太平洋戦争、敗戦を経て、戦後は日本国憲法のもとで象徴天皇となった。

犬養毅

新聞記者を経て政党政治に参加し、立憲国民党・革新倶楽部などで活動した。1931年に内閣総理大臣となり、翌年の五・一五事件で海軍青年将校らに殺害された。

近衞文麿

1937~39年、1940~41年に首相を務め、日中戦争の拡大や新体制運動、日独伊三国同盟締結期の政権を担った。敗戦後、戦犯容疑で出頭を命じられ自殺した。

東條英機

陸軍大臣などを経て1941年10月に首相となり、同年12月の対米英開戦時の内閣を率いた。敗戦後、極東国際軍事裁判で死刑判決を受け処刑された。

鈴木貫太郎

侍従長などを経て1945年4月に首相となり、ポツダム宣言受諾と終戦に至る内閣を率いた。終戦決定は鈴木単独ではなく、最高戦争指導会議・閣議・天皇の聖断など複数主体の政治過程。

STEP 10|TEXtTEXt

文章を読んで、戦争へ向かう流れを確かめよう

ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。

TEXtTEXt|戦争と日本

満州事変まんしゅうじへんと中国ちゅうごくへの進出しんしゅつ

1931年に満州事変まんしゅうじへんが起おこりました。その後あと、日本にほんは中国ちゅうごくへの進出しんしゅつを進すすめました。出来事できごとのつながりを考かんがえることが大切たいせつです。

満州事変まんしゅうじへんの後あとの変化へんかとして適切てきせつなものはどれですか。

TEXtTEXt|戦争と日本

日中戦争にっちゅうせんそうの始はじまり

1937年に日中戦争にっちゅうせんそうが始はじまりました。満州事変まんしゅうじへんの後あと、日本にほんと中国ちゅうごくの戦たたかいはさらに広ひろがりました。出来事できごとはつながりながら進すすみました。

日中戦争にっちゅうせんそうについて読よみ取とれることはどれですか。

TEXtTEXt|戦争と日本

太平洋戦争たいへいようせんそうの始はじまり

1941年に太平洋戦争たいへいようせんそうが始はじまりました。戦争せんそうの範囲はんいはさらに広ひろがり、多おおくの地域ちいきが影響えいきょうを受うけました。歴史れきしの流ながれを考かんがえることが大切たいせつです。

太平洋戦争たいへいようせんそうが始はじまったことで読よみ取とれることはどれですか。

昭和・戦前で押さえたいポイント

1

恐慌と軍部の台頭

経済不安と政治の変化を、満州事変や五・一五事件、二・二六事件とつなげます。

2

戦争が拡大する

満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと戦争の範囲が拡大した流れをつかみます。

3

1945年を境界にする

敗戦までをこのページで扱い、占領・民主化・日本国憲法は次の戦後日本へつなげます。

もっと詳しく調べる・問題を解く

「なぜ戦争が広がったのか」を出来事のつながりから考えよう

昭和前期は、恐慌、政治の変化、国際関係、軍事行動、国内の戦時体制が重なりながら戦争が拡大した時代です。一つの事件だけで説明せず、複数の出来事がどうつながったのかを年表で捉えましょう。