第一次護憲運動が始まる
第一次護憲運動が始まる。民衆の政治参加を求める動きと政党政治が広がり、大正デモクラシーと呼ばれる政治・社会の変化が進みました。
小学6年生・中学生 社会|日本史
1912年から1926年までの大正時代。第一次世界大戦と大戦景気、米騒動、政党政治と大正デモクラシー、女性・社会運動、関東大震災、普通選挙法、そして新聞・雑誌・映画・ラジオ・スポーツが広がる大衆文化までを、年表と問題でつなげて学びます。
STEP 1|まず全体像
大正時代は15年ほどの短い時代ですが、日本社会は大きく変化しました。第一次世界大戦による景気の拡大と物価上昇、米騒動、政党政治の進展を背景に、民衆が政治への参加を求める動きが強まります。こうした政治・社会の動きを大正デモクラシーと呼びます。
STEP 2|重要年表
大正時代の主要な出来事に加え、1926年の昭和改元と1927年の昭和金融恐慌まで境界をつないで表示しています。
第一次護憲運動が始まる。民衆の政治参加を求める動きと政党政治が広がり、大正デモクラシーと呼ばれる政治・社会の変化が進みました。
ヨーロッパで第一次世界大戦が始まり、日本も日英同盟を理由に参戦しました。戦争は日本の外交・経済・植民地支配にも大きな影響を与えます。
米価の急騰を背景に富山県から米騒動が始まり、全国へ広がりました。寺内内閣が退陣し、本格的な政党内閣成立につながります。
原敬が首相となり、衆議院の多数党を基盤とする本格的な政党内閣を組織しました。大正期の政党政治を象徴する出来事です。
第一次世界大戦が終結する。第一次世界大戦後の民主化と社会運動から、恐慌・軍部台頭へと日本社会が大きく転換していく時期の出来事です。
新婦人協会が結成される。労働者・農民・女性・被差別部落の人々などが権利や生活改善を求め、社会運動が多様に広がっていきました。
被差別部落の人々が自ら差別撤廃を目指して全国水平社を結成しました。水平社宣言を掲げ、人権と解放を求める運動を進めます。
関東大震災が発生し、東京・横浜を中心に甚大な被害が出ました。火災による被害も大きく、その後大規模な帝都復興事業が進められます。
普通選挙法が成立し、納税額に関係なく25歳以上の男子に選挙権が認められました。政治参加を大きく広げた大正デモクラシーの成果です。
治安維持法が成立し、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする運動が取り締まり対象となりました。後に思想統制へ広く用いられます。
ラジオ放送が始まる。都市化と教育・通信の普及を背景に、新聞・雑誌・ラジオ・映画・スポーツなど新しい大衆文化が生活へ広がりました。
昭和天皇が即位する。第一次世界大戦後の民主化と社会運動から、恐慌・軍部台頭へと日本社会が大きく転換していく時期の出来事です。
昭和と改元される。第一次世界大戦後の民主化と社会運動から、恐慌・軍部台頭へと日本社会が大きく転換していく時期の出来事です。
芥川龍之介「羅生門」が発表される。第一次世界大戦後の民主化と社会運動から、恐慌・軍部台頭へと日本社会が大きく転換していく時期の出来事です。
映画・雑誌・レコードなど大衆文化が発展する。都市化と教育・通信の普及を背景に、新聞・雑誌・ラジオ・映画・スポーツなど新しい大衆文化が生活へ広がりました。
阪神甲子園球場が開場する。第一次世界大戦後の民主化と社会運動から、恐慌・軍部台頭へと日本社会が大きく転換していく時期の出来事です。
関東大震災後の震災手形処理問題などから銀行への信用不安が広がり、昭和金融恐慌が起こりました。銀行の休業や企業倒産が相次ぎます。
STEP 3|第一次世界大戦
1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、日本も日英同盟を理由に参戦しました。ヨーロッパからアジアへの輸出が減ったことで日本製品の需要が増え、輸出や工業生産が伸びる大戦景気となります。
一方で物価も上昇し、とくに米価の急騰は人々の生活を圧迫しました。1918年には富山県から始まった米騒動が全国へ広がり、寺内内閣の退陣につながりました。
STEP 4|大正デモクラシー
大正初期には、議会を重視する政治を求める護憲運動が広がりました。政治学者の吉野作造は民本主義を唱え、政治は民衆の利益を重視すべきだと論じました。
1918年には原敬が衆議院の多数党を基盤とする本格的な政党内閣を組織します。こうした政党政治や民衆の政治参加を求める動きは、大正デモクラシーを代表する変化です。
STEP 5|社会運動
政治参加を求める動きはさまざまな社会運動へ広がりました。1920年には新婦人協会が結成され、女性の政治参加や権利拡大を求める活動が進みます。
1922年には、被差別部落の人々が差別からの解放を目指して全国水平社を結成しました。労働運動や農民運動も活発になり、社会のさまざまな立場から権利や生活改善を求める声が強まりました。
STEP 6|関東大震災
1923年に関東大震災が発生し、東京・横浜を中心に大きな被害が出ました。建物の倒壊だけでなく火災による被害も大きく、その後は都市の復興事業が進められます。
震災時には流言が広まり、朝鮮人や中国人などが殺傷される事件も起こりました。災害そのものだけでなく、情報と社会のあり方についても考える必要がある出来事です。
STEP 7|普通選挙法と治安維持法
1925年、普通選挙法が成立し、納税額に関係なく25歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が認められました。選挙権を持つ人が大きく増えた、大正デモクラシーの重要な成果です。
その一方、同じ1925年には治安維持法も成立しました。後に思想や社会運動への取り締まりに広く用いられるようになります。政治参加が広がる動きと統制を強める動きが同時に存在した点が、大正末期を理解する重要なポイントです。
STEP 8|大正の大衆文化
都市人口が増え、教育が普及すると、多くの人が同じ情報や娯楽を楽しむ大衆文化が発展しました。新聞や雑誌の読者が増え、映画やレコードも広がります。文学では1915年に芥川龍之介の「羅生門」が発表されるなど、新しい作品が次々と生まれました。
スポーツも身近になり、1915年には全国中等学校優勝野球大会が始まり、1924年には阪神甲子園球場が開場しました。1925年にはラジオ放送が始まり、情報や娯楽が家庭へ直接届く時代へ進みます。大正時代は政治だけでなく、人々の暮らしや文化が大きく開いた時代でもありました。
STEP 9|昭和へ
1926年に元号が昭和へ変わります。翌1927年には、関東大震災後の震災手形処理問題などを背景に昭和金融恐慌が広がりました。
大正期に広がった政党政治や大衆文化は昭和にも続きますが、その一方で経済不安や社会の緊張も強まっていきます。ここから日本は、世界恐慌や満州事変などを経て大きく変化していきます。
STEP 10|重要な人物
新聞・外交官僚を経て立憲政友会を率い、1918年に内閣総理大臣となった。爵位を持たない衆議院議員中心の内閣として本格的政党内閣を形成した。『平民宰相』は爵位を持たなかったことに由来する通称。
東京帝国大学教授として民本主義を唱え、普通選挙や政党政治を支持した。大正期の政治思想に大きな影響を与えた。天皇主権の憲法体制内で民意尊重を論じた。
思想家・女性運動家。1911年に女性による文芸誌『青鞜』創刊に参加し、創刊辞『元始、女性は実に太陽であった』を発表した。戦後は平和運動にも取り組んだ。
女性の政治参加を求めて活動した社会運動家・政治家。戦前から女性参政権運動を進め、戦後に女性の選挙権が実現した後は参議院議員を長く務めた。政治資金や選挙制度の問題にも取り組み、政治浄化を訴えた。
憲政会総裁として1924年に護憲三派内閣を組織し、普通選挙法を成立させて男子普通選挙への道を開いた。一方で同じ1925年に治安維持法も制定され、政治参加の拡大と思想統制の強化が同時に進んだ時代の首相である。
古典説話などを素材にした短編から近代社会・自己を扱う作品まで多数執筆し、『羅生門』『鼻』『河童』などを残した。芥川賞は本人が受賞した賞ではなく、死後1935年に菊池寛が創設した新人文学賞。
STEP 11|TEXtTEXt
ここからはTEXtTEXtに実際に登録されている社会の問題です。
第一次世界大戦が世界の戦争とよばれる理由として適切なものはどれですか。
工業が発展した理由として適切なものはどれですか。
第一次世界大戦が世界規模の戦争へ広がった流れとして、もっとも適切なものはどれですか。
護憲運動や政党政治が進み、普通選挙法によって男子の選挙権が大きく広がりました。
女性、労働者、農民、被差別部落の人々などが権利や生活改善を求めて活動しました。
新聞・雑誌・文学・映画・レコード・ラジオ・スポーツなどが多くの人々の生活に広がりました。
大正時代は短い一方、民主主義を求める動き、社会運動、都市化、マスメディアと大衆文化の発展が重なった密度の高い時代です。出来事を一つずつ暗記するのではなく、人々の政治参加と暮らしの変化を一つの流れとして捉えましょう。